【ごんぎつね】あらすじや感想、教訓について紹介!

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ごんぎつねは小学校の国語の授業で扱われることの多い小説です。
本記事ではその小説「ごんぎつね」についてあらすじや感想、読むことで得られる教訓などについて紹介していきたいと思います。

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『ごんぎつね』は国語の教科書4年生の名作

ごんぎつねは国語の教科書の4年生で習う、代表的な名作です。
新見南吉という児童文学作家によって書かれた作品です。

新見南吉の代表作として知られ、1932年、南吉が18歳の時に初版が刊行されています。
南吉の故郷である愛知県半田市が舞台となっているとされており、お歯黒などが使われていることから、時代設定は江戸時代ごろと推定されます。

この物語は彼が幼少期のころに聞いた口伝をもとに執筆されたとされています。
新見南吉が口伝をもとにまとめた草稿を「権狐」、「権狐」

ごんぎつねのあらすじ

物語は村の茂平からの伝聞という形式で語られています。

両親のいない小狐のごんは村へ出てきては悪戯ばかりして村人を困らせていました。ある日ごんは兵十(ひょうじゅう)が川で魚を捕っているのを見つけ、兵十が捕ったびくを倒して、ウナギを逃がしてしまうという悪戯をしてしまいました。
それから十日ほど後、兵十の母親の葬列を見たごんは、あのとき逃がしたウナギは兵十が病気の母親のために用意していたものだと悟り、後悔します。

母を失った兵十に同情したごんは、ウナギを逃がした償いのつもりで、鰯を盗んで兵十の家に投げ込むも、翌日に鰯屋に泥棒と間違われて兵十が殴られていた事を知り、ごんは反省します。
それからごんは自分の力で償いをはじめるようになります。しかし、兵十は毎日届けられる栗や松茸の意味が判らず、知り合いの加助の助言で神様のおかげだと思い込んでいました。それを聞いてごんは割に合わないと思いながらも毎日届け物を続けていました。

その翌日、ごんが家に忍び込んだ気配に気づいた兵十は、また悪戯に来たのだと思い戸口を出ようとするごんを火縄銃で撃ってしまうのです。兵十がごんに駆け寄ると土間に、栗が固めて置いてあったのが目に留まり、はじめて、栗や松茸がごんの侘びだったことに気づきます。

「ごん、おまえだったのか。いつも、栗をくれたのは。」

と問いかける兵十に、ごんは目を閉じたままうなずきます。兵十の手から火縄銃が落ち、筒口から青い煙が出ているところで物語は終わっています。

ごんぎつねの登場人物、ごんぎつねの意味

ごん

ごんは、本作品の主人公で子ぎつねです。幼いころから家族がいなくて一人ぼっちで生活をしています。いたずら好きではありますが、さびしがりやで優しい性格の一面もあります。
作品名となっているごんぎつねはこの「ごん」のことを指しており、作品の舞台となった権現山の「権」からきているのではないかと考えられます。

兵十 読み方(ひょうじゅう)

兵十は本作の主要登場人物で、母親と二人暮らしをしている男です。
あまり多くは語られておらず、どんな職業についているかどんな性格なのかはあまり描かれていません。

名前の読み方が時々話題となっていますが、国語の教科書で勉強した年代によって読み方が異なっているようです。
昔は「へいじゅう」と読まれることが一般的でしたが、現在の国語の授業では基本的に「ひょうじゅう」と読むようになっているそうです。

ちなみに私が勉強した時も「ひょうじゅう」と呼んでいました。

ごんは死んでいない?

ごんは死んでいないのではというようなネットの書き込みを見つけたので、こちらについても触れていきたいと思います。

確かに物語では火縄銃で撃たれた後に、「ごんは目を閉じたままうなずく」というシーンで終わっており、死んでしまったという描写ははっきりと描かれていません。しかし目を閉じたままというところからおそらく撃たれて間もなく亡くなってしまったと考えるのが自然ではないでしょうか。

また子ぎつねであることから、急所を外していたとしても結構なダメージなっているはずです。
描写や火縄銃で撃たれた事実から見て、死んでしまったと考えられます。

ごんぎつねの名言 「ごん、おまえだったのか…」

ごんぎつねの名言といえば
「ごん、おまえだったのか。いつも、栗をくれたのは。」
これしかないですよね。

物語の一番の盛り上がりのシーンでもあります。

ごんぎつねの感想

兵十がかわいそう

ごんぎつねを読んだ時の感想は、まず一番に感じたのは兵十がかわいそうというところです。
人間である兵十の目線から見れば、母親のためにせっかく捕ったウナギをごんに逃がされてしまいます。江戸時代ですし、もしかしたら食事も満足いくまで食べれていたかどうかわからないですよね。
ごんはいわば害獣というような感じに見えるわけです。
ごんが罪滅ぼしとして鰯を盗んで兵十のところに届けていたため、鰯どろぼうとして間違われてしまい、殴られてしまいます。

最後もごんが持ってきてくれていたというのを気づくことは兵十には難しいことですし、普通に考えて動物がそんなことしてくれているとは思えませんよね…

撃ってしまっ他のを公開しているでしょうしなんだか切なく感じました。

 

ごんは嫌い

ごんは嫌いという見出しを付けていますが、個人的にはあまり好きになれないキャラクターでした。
後半は頑張って償いをしようとしていますが、前半は明らかにいたずらで、兵十を困らせようとして行っています。

また、後半でも償いをしているものの、兵十に気づいてもらえなかったからと言って割に合わないという感情を抱いています。自分が悪い子をしてしまった反省に、やっていることに対して、それに気づいてもらえない、別のもののおかげだと思われているからと言って、割に合わないという考えに至ってしまうのはどうしてもいただけないなと感じてしまいました。

 

ごんぎつねの教訓とは

色々教訓はあるかと思いますが、私が感じたのは一度してしまった過ちによってついてしまった悪いイメージを払しょくするのは難しいというところです。

一回罪を犯してしまう、嘘をついてしまうということをしてしまうと、ああこの人はこういう人なんだなというレッテルを張られてしまうは致し固いことです。そのついてしまったイメージは完全にはぬぐい切れないことでしょう。

イソップ物語の「ひつじかいのしょうねん」でも少年が「オオカミが出たぞー」と日ごろから嘘をついていたら、ほんとにオオカミが出たときに誰も信じてくれなかったという話がありますよね。ちょっとこれにも似たものを感じました。

悪いことをしてしまうと中々以前のような人間関係に戻ることは難しいことです。
日ごろから誠実に生きることの大切さを感じますね。

 

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