オツベルと象のあらすじと感想、物語を徹底的に解説!

小説

国語の教科書でも学習するオツベルと象。

オツベルと象には、最後の1文をはじめ、難解というか不可解というか不思議な部分が多いお話です。

そこで本記事では、オツベルと象のあらすじと感想、お話の解説を紹介していきたいと思います。

 

オツベルと象とは?

オツベルと象は、あの有名な宮沢賢治の短編童話です。

宮沢賢治の生前に発表された、数少ない作品の一つです。

多くの国語の教科書で学習用の童話として取り扱われるほか、公文式の教材にもなっている有名な童話です。

 

オツベルと象のあらすじ

この物語は、とある牛飼いが物語るという形式の童話になっています。

ある日、地主であるオツベルのもとへ、1匹の大きな白い象がやってきます。その白象は、鶯のような声で鳴くそれはそれは美しい象でした。

オツベルは白象を言葉巧みに騙して、自分の所有物としてしまい、過酷な労働をさせました。

白象は最初のうちは、オツベルを疑うことなく、むしろ労働を楽しんでいました。

しかし、次第に餌の量も減らされ日に日に弱っていきました。そこで、白象は月の助言を受けて、仲間の助けを呼ぶことにします。

そうして、仲間の像たちは大群で、白象を助けにオツベルの屋敷へやって来ます。

 

オツベルと象の登場人物キャラクター

白象 

この物語のメインキャラクターです。

とても綺麗な姿で、鶯のような美しい声でなく大きな白い象です。

性格はとても純粋で、他人のことを安易に疑わない純粋無垢な少年のような心を持っています。 

そのために、オツベルに騙され奴隷として扱われてしまいます。

オツベル

この物語の主人公です。

白象を言葉巧みに騙して自分の所有物にしてしまいます。最初はしっかり餌を与えていましたが、徐々に餌も減らし、奴隷のように白象をこき使います。

最期は助けに来た白象の仲間達が押しかけてきて、銃で抗戦するも、全く通用せず、屋敷もろともぺしゃんこに押し潰され、死んでしまいます。

毎晩藁を食べながら、悩む白象に助言をしてくれます。

赤衣の童子

何処から現れたかも分からない、謎の童子です。白象の手紙を仲間の象たち届けてくれます。

百姓

オツベルの家で働く百姓たちです。白象の仲間達がおしよせた時に、オツベルに助けを求められますが、オツベルを見捨てて逃げてしまいます。

とある牛飼い

この物語を語っているとある牛飼いです。

 

オツベルと象の感想

第1日曜日

まず最初の冒頭第1日曜日です。

オツベルは大したもんだ。

(中略)

どうだ、そうしてこの象は、もうオツベルの財産だ。いまに見たまえ、オツベルは、あの白象を、はたらかせるか、サーカス団に売りとばすか、どっちにしても万円以上もうけるぜ。

オツベルは大したもんだという非常にインパクトの強い冒頭から始まります。

これは牛飼いのセリフです。この牛飼いが語っていくという話のスタイルが、物語に非常に影響しています。

そして、百姓たちをこき使うようなオツベルの日々が描写されています。

そこへやってきたのが1匹の白い象です。

オツベルは怯えながらも、象に話しかけここに一緒に居ないかと提案します。

そして最後の一文に繋がります。

オツベルはもう既にこの時点で、象を使って稼ぐ気満々です。オツベルの悪役っぽさを感じます。

 

第2日曜日

オツベルときたら大したもんだ。それにこの前稲扱小屋で、うまく自分のものにした、象もじっさい大したもんだ。力も二十馬力もある。第一みかけがまっ白で、きばはぜんたいきれいな象牙ぞうげでできている。皮も全体、立派で丈夫じょうぶな象皮なのだ。そしてずいぶんはたらくもんだ。けれどもそんなにかせぐのも、やっぱり主人がえらいのだ。

またここでも冒頭でオツベルは大したもんだという台詞から始まります。

そして象も実際大したもんだと言っています。

牛飼いは最初オツベルのやり方を批判するようなニュアンスを込めて、「オツベルは大したもんだ」という発言をしているのかと思いました。

でもなんだか、ちょっと違いそうです。

そして、次の文でも「けれどもそんなにかせぐのも、やっぱり主人がえらいのだ。」と言っています。白象の働きについても、主人の度量、技量のおかけだと言っているようです。

これは皮肉を言っているのでは無く、素直にオツベルの凄さを認めて褒めているように思います。

牛飼い自体はオツベルに考え方が近いのかもしれませんね。

そしてこの後、オツベルは白象に「時計入らないか」と問いかけ大きな時計を与えます。これに対し象は、素直に喜んでいます。

これを見てオツベルは、しめしめと思ったんでしょうね。その流れで、象にまるでプレゼントを与えるかのように、100キロの鎖と400キロの分銅を足につけさせます。

もうこの時点で相当ひどい扱いですよね。ほんとに白象が可哀想になってきました。

でも素直な象はそれをプレゼントと受け取り、喜んでいる描写があります。

そして、川に水を組みに行かせたり、山に薪を取りに行かせたりとか酷な労働をさせています。

近年のブラック企業ですら、ここまでひどい扱いはされないでしょうね。

それだけ働かせておきながらも、餌はたったの藁5把だけです。

じっさい象はけいざいだよ。それというのもオツベルが、頭がよくてえらいためだ。オツベルときたら大したもんさ。

この日曜日の最後でも牛飼いは、実際象は経済だと言っています。そして、オツベルの頭の良さ偉さを素直にすごいと言ってるんです。

ちょっとわかるような気もしますが、でもそれでもひどい扱いですよね。象を使うにしても、もうちょっと両者が満足できるようなまともな取引が出来なかったのかなと思います。

 

第5日曜日

オツベルかね、そのオツベルは、おれも云おうとしてたんだが、居なくなったよ。
 まあ落ちついてききたまえ。前にはなしたあの象を、オツベルはすこしひどくし過ぎた。しかたがだんだんひどくなったから、象がなかなか笑わなくなった。時には赤いりゅうの眼をして、じっとこんなにオツベルを見おろすようになってきた。

そしてここに来てようやく、牛飼いがオツベルはやりすぎだという事を批判します。

白象もいつしかオツベルのことを睨みつけるようになっています。

なんだかここまで来るともう取り返しがつかないですよね。すでに奴隷の扱いを始めてから3週間もたっていますし。

ある晩象は象小屋で、三把の藁をたべながら、十日の月をあおぎ見て、
「苦しいです。サンタマリア。」と云ったということだ。

さすがの白象も限界のようで、サンタマリアに助けを求めています。

すると、月が白象に話しかけてきます。

月は白象に仲間に助けを求める手紙を書けば良いと助言をしてくれます。

どこからともなく突然現れた、赤衣の童子が、紙とペンを用意してくれます。白象は自分の置かれている状況と助けて欲しいという内容を手紙にして、赤衣の童子にたくします。 

童子は、神の使いと読み取るのが一般的とされてちます。

そして、童子は白象の仲間に手紙を届けます。

その手紙を読んだ象たちは仲間を引連れてオツベルの屋敷に向かいます。

グララアガア、グララアガアという象たちの鳴き声もとても変わった表現ですよ。象たちの迫力が非常によく伝わってきます。

そして、象たちは一気に屋敷に押し寄せ、屋敷諸共オツベルをペシャンコにしちゃいます。

百姓たちもオツベルを助けることなく逃げてしまいます。

百姓たちもオツベルにこき使われていたので、逃げれてよかったのかもしれませんね。

 

「ああ、ありがとう。ほんとにぼくは助かったよ。」白象はさびしくわらってそう云った。 

そして、助けられた白象は寂しく笑います。

オツベルから解放されてもっと喜んでもいいような気がするんですが、なぜか、寂しく笑うんですよね。

ここは授業でも取り上げられる定番の表現ですよね。なぜ白象は寂しく笑うんでしょうか?

ここには白象の優しさ、オツベルへの慈悲の念を感じます。

白象は助けて欲しいとは願ったものの、オツベルをやっつけたいみたいなことは微塵も思ってなかったんだと思うんですよね。

ましてや頃そうだなんてのはもってのほかです。

だからこそ、結果的にオツベルが死んでしまったことを悲しくおもって素直に喜ぶことは出来なかったのだと思います。

実に優しい性格の持ち主です。わたしならやっつけることが出来てちょっと清々しちゃうかも知れません。

オツベルは確かにやりすぎてはいましたが、白象に時計を与えたりもしています。

白象は、その時は心から嬉しがっているようですし、オツベルに感謝してた頃もあったと思うんです。

だからこそ、ひどい扱いを受けても、心の底からオツベルを憎むことは無かったのでしょうね。

もっと、白象と仲良くお金儲けをしていく道もあっただろうに。まあ、自業自得の結果とも言えますが、オツベルもなんだか可哀想にも思えます。

もう少しだけ白象を気遣ってあげていれば良いビジネスパートナーになれたのになと思います。

 

オツベルと象の最後の一文

そして、かの有名な最後の一文へと繋がっていくのです。

「おや、[ 一字不明]、川へはいっちゃいけないったら」

この意味深な最後の一文は何を伝えたかったのでしょうかね?

私が子供の頃の教科書では、一字不明ではなくて、「君」という文字が当てられていました。

最近では、一字不明としているものが多いようです。実際どうなっていたのかは、宮沢賢治にしか分かりません。

この最後の文にはどういった意味が込められているんでしょうかね。

この一文はおそらく牛飼いが、オツベルや白象の話を語っているのではなく、現実で誰かに向けて言ったセリフだと思われます。

牛飼いが単に、子供や牛に向けて川へはいっちゃいけないよということを言ったというのが一番しっくりきます。

個人的にはあまり深い意味はなく、とある日常のワンシーンなのかなって思ってます。

でも何故ここで川なのか·····

人によってはこれは三途の川で·····というような深読みをしている方もいらっしゃいます。

いずれにせよ、この一文があることによって、ちょっと不思議な終わり方になっていて、物語を一層面白いものにしていることは間違いないです。

実際のところ、宮沢賢治はどのような思いを込めて、この一文を書いたのでしょうね?

あなたももう一度オツベルと象を読み返してみてはいかがでしょうか?

 

 

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